今日はとてもよい天気。
朝5時半に起きて6時半に家を出て、ここ神奈川県立相模原公園(と隣の麻溝公園も)にやってきた。
別にそんなに勇んでこの公園に来たかったわけではない。たまたま娘の所用がこの近くであって、一緒に付いて来たのである。こういう時に、高3の娘は私が一緒に行動する事を嫌がらないのが良い。
早速麻溝公園の方にあるふれあい動物公園(無料)に入ってみる。
アライグマが変な格好で昼寝(朝寝?)をしている。これ本当に眠っていて、時々上げている前足がピクピクと動いて、愛らしいのである。
他には、豚やらポニーやら、ウサギやら、リスやら、ミーアキャットやらと、ふれあえるのふれあえないの取り混ぜていらっしゃった。
そして地上38mの展望室に登ってみたらとても良い景色で、何とか奥多摩の大岳山が見えた。しかしここからは富士山はちょうど大山の陰にかくれてしまって見えないようである。
展望室を後にして、向こうに見える温室のある相模原公園の方へ行ってみることにする。
なんとこの日はちょうど、県立公園40周年の記念行事をやっていて、この温室入場料がただ。(ロハね、昔風に言うと・・・)
中には熱帯系の植物が沢山あって、近くのゴミ処理場の余熱で運営しているとのこと。こんな滝もあって、気持ちのよいところであった。
なんだかね・・・家族連れがた〜くさん来ている公園の中で、独り肩掛け鞄を下げて後ろで手を組んで歩いているおやじの絵面って、すんごいじじいっぽいのだろうと思うが、仕方がない・・・でも結構楽しいのですよ、ぶら〜りが。
温室を出て更に奥へと歩を進めると、噴水が気持ちよく音を立ててあがっていて、その脇のメタセコイア並木の木陰の小道が涼しくて快適。 メタセコイアですよ!あの生きている化石と言われる。思わぬところで思わぬ木に会ってしまった。
温室から行くと一番奥の方にちょっとしたコスモスの群生があったけど、もう終わりだね〜・・・なんて思っていたら娘から「もう用事が終わった」と連絡が入る。
ちょうどほぼ公園内をすべて見られたので温室の方へ戻って娘と落ち合う。
本当は、娘の用向きは午後まである前提で、私は古淵駅の方へバスで行って模型屋さんなんかをぶら〜りしようと目論んでいたのだが、昼前に終わってしまっては仕方がない。
コンビニで私の分の昼食を買って、公園で娘と弁当(娘のは家人に作ってもらってあった)を広げた。
こんなねぇ、娘と2人で並んで外でお弁当を広げるなんて、残りの人生で後何度あるのだろうか?
朝が早かったので帰りの電車では爆睡で、帰ってこんどは自宅からそう遠くない模型屋さんにいそいそと出かけ直したのでした。
なんだか変な日記もどきになってしまった。
鉄道模型の話はまた今度。
ではまた
2014年10月19日日曜日
2014年10月17日金曜日
タイトル変えました!
さて、昨年1月から沈黙を守って(?)来た当ブログ(旧名:(こ)の○○○)ですが、思う所ありましてタイトルを変えて再出発です。あ、ついでにデザインも変えました・・・が、既成ものを安直に選んだだけなので、これはこれでいつかオリジナリティを出せたら良いな、と思ってもおります。
まずはその第一声ということで、今回は写真はありません。(多分・・・)
「この人生は旅である・・・」とは、かの吉川英治氏の言葉。
深〜い含蓄のある言葉ですが、ここでその深い意味を考察しようというのではありません。
ここ最近、長男は来年から就職活動を開始、長女は今年大学受験。そして51歳となってしまった我が身を振り返りまた行く方を考えるに、つくづく「人生って旅なんだなぁ」と思うことが多くなって来ました。
旧名のブログ時代にあまりちゃんと書いていなかったと思いますが、3年前に父が脳梗塞で倒れ、半身不随のまま2年後に運良く特養施設に入る事ができたものの、その後も色々な要因で入退院を繰り返し、その間都心をはさんで反対側に1人で住んでいる母を見ながら父の見舞いに、多い時には毎週、平均で隔週で通う生活を続けて3年間。自分は父のようにはなるまい、と思いつつも毎年の人間ドックでは「はっきり言ってメタボ」と言われ続ける始末。
仕事での責任も大きく、子供は手がかからなくなったとはいえ、それぞれある意味人生の中でいくつかあるうちの一つの岐路に立っている者を、ただ横目で見ているだけでは済む訳はなく。家人との衝突も数知れずのストレスフルな生活の中で、自分の楽しみを味わう時間を何とか持とうと奮闘したり、あっさり持てたり。(なんじゃそりゃ?)
元々父に似て多趣味の私は、あっちに出した手をこっちへも出してみて、結局中途半端なままのモノが多数。
ここに来て残りの我が人生を考えてみた時に、これだけ手を広げてしまった事柄をどれだけ真っ当に・・・いや、どれだけ自分が満足できるまでやり切れるのか?
そう考えると、俄然やらねば!の気持ちが旺盛に出て来て、だったらついでに今までの週末日記風のブログから、それぞれの趣味の実践の過程をつぶさに記録していこうでは無いか?と考えるに至った訳であります。(ここだけ論説調)
いや、確かにここ数ヶ月の間、結構やれている自分に気づいてしまったりして。なので、これをただ無為にやり過ごすのももったいないと思い、せめてちゃんとブログに残して行こうと。きっと途中で、ブランクは空くだろうし、新しいモノに手を出すだろうし、別の記録媒体も使うだろうし、と出てくると思いますが、もしこのブログの読者がいらっしゃったら、おつきあいいただければ幸いです。
ブログって本来はログなので、それぞれの今を記して行くのが正しいのでしょうが、1年半もブランクが空いてしまったこともあるので、少し遡っての話題も時々入れて行こうかな?とも思っています。
なので、趣味の話題が中心になっていく予定なのですが、自分の来し方行く末に照らし合わせた時に、「人生は旅」ってところにある意味こじつけてしまっている感もあります。
まずは、再会のご挨拶でした。
それでは、また。
(こ)・・・これも変えたいんだけど、なんか良いのないかな〜
まずはその第一声ということで、今回は写真はありません。(多分・・・)
「この人生は旅である・・・」とは、かの吉川英治氏の言葉。
深〜い含蓄のある言葉ですが、ここでその深い意味を考察しようというのではありません。
ここ最近、長男は来年から就職活動を開始、長女は今年大学受験。そして51歳となってしまった我が身を振り返りまた行く方を考えるに、つくづく「人生って旅なんだなぁ」と思うことが多くなって来ました。
旧名のブログ時代にあまりちゃんと書いていなかったと思いますが、3年前に父が脳梗塞で倒れ、半身不随のまま2年後に運良く特養施設に入る事ができたものの、その後も色々な要因で入退院を繰り返し、その間都心をはさんで反対側に1人で住んでいる母を見ながら父の見舞いに、多い時には毎週、平均で隔週で通う生活を続けて3年間。自分は父のようにはなるまい、と思いつつも毎年の人間ドックでは「はっきり言ってメタボ」と言われ続ける始末。
仕事での責任も大きく、子供は手がかからなくなったとはいえ、それぞれある意味人生の中でいくつかあるうちの一つの岐路に立っている者を、ただ横目で見ているだけでは済む訳はなく。家人との衝突も数知れずのストレスフルな生活の中で、自分の楽しみを味わう時間を何とか持とうと奮闘したり、あっさり持てたり。(なんじゃそりゃ?)
元々父に似て多趣味の私は、あっちに出した手をこっちへも出してみて、結局中途半端なままのモノが多数。
ここに来て残りの我が人生を考えてみた時に、これだけ手を広げてしまった事柄をどれだけ真っ当に・・・いや、どれだけ自分が満足できるまでやり切れるのか?
そう考えると、俄然やらねば!の気持ちが旺盛に出て来て、だったらついでに今までの週末日記風のブログから、それぞれの趣味の実践の過程をつぶさに記録していこうでは無いか?と考えるに至った訳であります。(ここだけ論説調)
いや、確かにここ数ヶ月の間、結構やれている自分に気づいてしまったりして。なので、これをただ無為にやり過ごすのももったいないと思い、せめてちゃんとブログに残して行こうと。きっと途中で、ブランクは空くだろうし、新しいモノに手を出すだろうし、別の記録媒体も使うだろうし、と出てくると思いますが、もしこのブログの読者がいらっしゃったら、おつきあいいただければ幸いです。
ブログって本来はログなので、それぞれの今を記して行くのが正しいのでしょうが、1年半もブランクが空いてしまったこともあるので、少し遡っての話題も時々入れて行こうかな?とも思っています。
なので、趣味の話題が中心になっていく予定なのですが、自分の来し方行く末に照らし合わせた時に、「人生は旅」ってところにある意味こじつけてしまっている感もあります。
まずは、再会のご挨拶でした。
それでは、また。
(こ)・・・これも変えたいんだけど、なんか良いのないかな〜